釣りとは…

釣りとは「運と勘と根である、すなわちそれは人生だ」 お亡くなりになった、作家の開高健先生は、そのように語っておられた。 なるほど、上手く言いあてたものだ。 しかし、私は、それに一つだけ付加価値をつけて、釣りとは「人とのつながり」である、と言いたい。

先日に、この慶應釣魚会のWebで、2月のKFC総会で映写された写真映像「あれから50年、これから50年」を公開させていただいた。映像は、昭和32年の創部当時、 1枚の白黒写真から始まる。長走川の渓流、国府津の白ギス釣り、神津島のモロコ、白樺湖の公魚、式根島のイシダイ、精進湖・大沼のヘラ釣り、小笠原のイソマグロとカッポレ、 空吹き落とせの大井川、福江島のチヌ、北海道はシュマリナイ、カナダフィッシング遠征。

釣魚会は50年以上の歴史を持つ、学内でも伝統あるサークルである。とても動画の30分では語り尽くすことのできない、多くの出来事と、様々な想いがこめられている。 所々に出てくる、会誌「波紋」も面白い。時代の流れを教えてくれる。オリンピックリールやメップスのルースターテイルと言って、今の釣人はどれだけ頷いてくれるだろうか。

たいへん有難いことに、映像を見ていただいた先輩方から励ましのメッセージをいただいた。つくづく思う、釣りとは不思議なものだと。これほどにも多くの人々が、 釣りを通じて繋がっている。そして、その絆はとても強い。初めて会う人とでも、釣りの自慢話になれば、釣人の両手をしばっておけ、というくらい盛り上がる。釣りを通じた友人は、 幼いころからの一番気ごころの知れた仲間だったりする。資本主義が精神の領域にまで浮遊し始めた時代には、そんな「人とのつながり」がとてもいとおしく思える。 これからも、大切にしていきたい。

そういえば、高校時代、実家の富山で、近所の公園によくブラックバスを釣りにいった。 当時は、立ち木にスピナーベイトを通してやると、50センチアップの大物が面白いように釣れた。 ある夕方に釣りをしていると、会社帰りのどこかのお父さんだろうか、スーツ姿の酔っ払った男性が近づいてきた。 「釣りをしているのか、懐かしいなぁ、童心に帰ったよ、ありがとう」独り言のようにそう言うと、おそらく少し泣きながら、 お父さんは子供の待つ家に帰って行った。 話しかけられた時、ふとその男性に「何だよ、しっかりしろよ」と言いたいように思ったけれど、生意気なガキだと思われるからやめた。今なら、少しだけ、あのお父さんの気持ちがわかる。

柴 光則



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