慶應義塾大学釣魚会の柴と申します。本日はお招きいただき、ありがとうございます。 さて、早いもので、2006年夏の釣魚会復興から、今年で4年目を迎えました。当時は、部員といっても私1人で、何からはじめるべきか、先が見えずにおりましたが、皆様の暖かいご指導もと、釣魚会もここまで無事に、成長を遂げることができ、感謝の気持ちでいっぱいです。
昨年、2009年は、様々な出来事がありました。それは、1つには学生釣魚連盟への復帰があり、また、1つには、会におけるパートの創設がありますが、本日、ここでお伝えしたいのは、慶應義塾大学釣魚会の、会報誌であります「波紋」が復刊した、ということです。今回の発行は、最後に途切れました「波紋33号」から、およそ10年振りとなり、刊数は34号となります。
昨年の秋に、編集をはじめるにあたり、KFC-OB会貯蔵の、貴重なバックナンバーをお借りしました。昭和34年の創刊号から2000年の33号まで、「学生釣り談義」「精進湖のヘラ釣りや、式根島のイシダイ釣り」「カナダフィッシング遠征記」いろいろ、拝読しました。
わたしのように、慶應に入って釣りをして、さて何が嬉しいかといいますと、そういうすばらしい釣行をなさってこられた先輩方に、お目にかかって、直接お話を伺えることはとても幸せなことだということです。 この歴代の「波紋」に関しましても、単なる時間の記述ではない、先輩方ひとり1人、それぞれの想いと釣り、さらには哲学があり、何故か読んでいて、胸が熱くなるような、けれども、切なくて、どこか懐かしい、そんな不思議な気持ちになりました。
論語の世界で「学びて思はざれば即ち暗し、思ひて学ばざれば即ち危ふし」という言葉があります。つまり、一生懸命学んでいるのに社会のことに何も興味がない、それでは暗くて発展がない。けれども逆に、現実の社会のことばかりに興味があって、なにかしなきゃといつも言っているのに、考える方法も力もない人は、危なっかしい。 そういうことだと思いますが、「釣り」を通じて、社会ですとか、自分の生きている世界の二面性見つめる、偉そうですが、私達、学生には、そういった物事の二面性を意識することが、大切なのではないかと、この歴代の波紋を読んでいて、そう思いました。
もうすでに会の運営は、次の世代が担ってくれています。かつて自分が描いた釣魚会を、どれだけ、形にできたかはわかりませんが、会をつくる活動にたずさわれた事は、とても貴重な体験でした、この場を借りて皆様に御礼申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。 「波紋」も釣魚会と共に、今後も続いてゆくと思いますが、皆様またどうぞご支援、ご指導のほど宜しくお願い致します。
柴 光則