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エッセイ:水の中の八月 (August in the water)

August in the water

小学生のころ、夏休みはいつも憂鬱だった。
時間は有り余るほどある。でもすることがない。

動くと汗ばむ。部屋の隅に積んであった本は大方読んでしまった。草野球なんかまっぴらだ。たまった宿題はしたくない。
夏休み終了前の数日が悲惨な状況になるとわかっているのに、まったくやる気が出ない。
ただひたすら、ぼーっとしている。とにかく怠惰な少年だった。

そんな夏休みの記憶に、深夜映画がある。
ぼくは、夏休みになると決まって放送される、深夜映画が大好きだった。
沢山の映画を見た。
けれども、題名をほとんど覚えていない。記憶にあるのは、短い時間を切りとった映像だ。

 

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『水の中の八月』という映画は、特に記憶に焼きついている。
といっても、この作品の名前を知ったのは、幼い頃の夏休みに見て、随分と時間が経ってからのことだ。
主人公は、プールの高飛び込みをやっている高校生の少女。競技中の事故によって生死を彷徨ったことで、死の淵で誰かから頼まれた使命を果たすと言い、超新星の爆発がなんとか、宇宙からの電波がかんとか、おかしな行動を始める。
夏が舞台の青春映画だが、オカルト要素もあって、映像として濃い青の色彩が際立っていた。

夏空に伸びたジャンプ台から、プールへ飛び込む少女のシーン。大きな水しぶきがあがった後、少女は空を仰ぎ見る姿で水面に浮上する。
音が消えて、プールの水底からユラユラと揺れる空と少女を映し出す。暗く透き通った青の光が、プールにたゆたう少女の体を包むように照らす。
たった数秒間の映像。プールに浮かぶ少女の映画は多く見たが(映画のことを書きだすと長くなるので、涙をのんで省く)、『水の中の八月』のワンシーンは印象的だった。
自分の知らない、水の中の世界を覗いた気分になる。そんな映画だった。

 

あれから十年くらい経って、思いもよらない形で、この映画を思い出すことになった。

それは一昨年の盛夏、八月の金曜日。
仕事終えて家に帰ると、あわててバックパックにロッドとリール、わずかなルアーと食料をつめこんで、深夜の桜木町からレンタカーで信濃川の上流域へ向かった。ちょうど源流釣行にのめり込んでいた時期で、駐車場所から二時間も歩いて山奥の流れに入り込む。

 

その日は、ほどよく釣れた。
けれども、正午を過ぎから、空に雲がかかりはじめ、やがて雨が降り出し、だんだんと雨脚は強くなっていった。
森は暗い。
湿度を保った空気が、ムンッとした草いきれのにおいを強くする。夏の昼間でも、山奥の曇天は怖い。
早めに山から抜けることに決めて、足早に登ってきた流れをくだる。
薄暗く、雨の降る森では、いつも見ていたはずの流れが、知らない風景に思えてくる。

浅瀬を渡るはずが、場所を間違えて、深い流れに足を踏み入れてしまった。それに気がついた時には、もう遅かった。
水底に足が着かない。

瞬間。

緩やかで、けれども深い流れに体は飲み込まれ、視界は水の中だった。
流されて、流されて、ドボンッと勢いよく、2,3メートル下の大きな滝壷に飛び込んだ。
口から息が溢れ出す。
バタバタと動かしている手足はどうなっているのか、自分は沈んでいるのか、浮いているのか、よくわからない。
けれども不思議と、目に映る水の中の風景は鮮明だった。
それは一瞬の風景。ライフジャケットの浮力で、ゆっくりと浮上をはじめる。

透明で薄暗い青をした水の中に、空からの雨が、まるで放たれた矢のように突き刺さり、無数の気泡がたっている。
白い蝶が一羽、ふわふわっと水の上で舞っている。
鳥が水面をかすめとるように飛び去る。仰向けに浮かぶと、森の木々のなかに穴がぽっかり空いて、大きくて黒い雲がすべるように右から左へ流れてゆく。
全ての現象が、映像としてスローモーションで再生される。
水の中から、空をぼんやり眺めていたら、あの『水の中の八月』のワンシーンが蘇ってきた。
はかなさと懐かしさが同時に心にジーンとしみわたる。
訪れてはいけない場所に入り込んだ気がして、水の中から見上げる世界は、それでも、どうしようもなく美しかった。

 

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そして、同時に思ったのは「魚は、こんな風景を見ているのか」ということだった。
山深く、鱒を追う釣り人は、川と魚に触れながらも、水の世界を直接に垣間見ることは少ない。
それは、意図しない形で踏み入ってはいけない世界。
けれども、運よく、水の中を覗くチャンスがあるならば、その有り様をよく観察してみてほしい。
魚が釣れた、釣れない。そんなことは、山の奥に入り込んで鱒を釣るという儀式の一部分でしかない。
些細なことだ。

人は自然に生かされていて、まだまだ知らないこと、見たことの無い世界がすぐ傍にある。
森や水から、謙虚に自然を学ぶ心が大切だ。
そして、センス・オブ・ワンダー(不思議に思う気持ち)を常に持ち続けることが、釣りという趣味を楽しむ、大切な要素ではないかと思っている。

帰り道、川から抜けた林道で一人のアングラーとすれ違った。
彼は小さなミノーをロッドからぶら下げている。
歩くたびに、振り子のようにミノーが揺れる。
ふとこの彼に、「いま、水の中で不思議なものを見た」と話しかけたいように思ったけれど、怖がられるだけだろうからやめた。

2018年 晩夏

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